やしくん炸裂☆今日はやしくんの事について書きたくて仕方がないので、やしくんについて書きたいと思います。初めて会ったのは、群馬県太田市のとある塾でした。 新規開校の教室でまだ誰もいない頃、 やしくんは塾にやってきました。 当時のやしくんは高校2年生になったばかり。 まだまだ中学生のようなあどけなさが残り、「かわいい」という表現が似合ってしまうような健気な高校生という印象でした。 面談も兼ねて、中学時代の通知票とか、模試の結果とか持ってきてもらうわけですが。 やしくんは太田高校のかなり下の方で伸び悩んでいるようでした。 さらに中学時代の通知票を見せてもらいビックリ。 なんと「3」ばかり。 やしくんの高校は地元の公立TOP校です。 どうして、そんな高校に行く子が中学時代に「3」ばかりなのだろうと不思議に思いました。 話を聞くと・・・ 「好きな子にふられたから、見返してやりたかったんです」 自分は衝撃を受けました。 まだあどけないやしくんが口にした言葉に衝撃を受けたのです。 好きな子にふられて見返したい!! これはまさに「吉野先生の再来か!!」 自分のように吉野先生の影響がでかい人間にはやしくんの言葉は衝撃でした。 やしくんはふられてしまった女の子を見返したいという一心で、無理と言われても太田高校を目指し、猛勉強して合格してしまったのです。 しかし、やはり太田高校にはついていけずに、 高2になると同時に塾にやってきたのです。 実際に最初にみた偏差値は全国模試(進研など)で偏差値30~40くらい。 初めて一緒に英語をやったときは、基本的なことの忘れが目立っていたので、こっそり中学の問題集を使用していたほどでした。 ・・・ 今回、やしくんが無事大学生になり、本に載りました。 ・・・ 本当に頑張ればどうにかなるんだなぁと思いました。 早慶に合格する受験生って言うのはモトモトある程度優秀なんだろうなとか、みんな思うでしょう。 でも、そんな事はないんだってやしくんが実践してくれました。 やしくんは暗記も苦手でどうやったら覚えられるのかいつも苦労していました。 歩きながら覚えていたり。 CD流してCDにあわせて発音したり。 書いて書いて書きまくってみたり。 ほんとにいろんな事にチャレンジしていました。 あどけないやしくんが必死に歯を食いしばって勉強する姿が目に浮かんできます。 やしくんの受験勉強生活も順風満帆ではなく。 通塾途中に車にはねられた事もありました。 左手複雑骨折です。 しかしやしくんは骨折しても塾に毎日来ました。 完全に左手を固定されて、不便なのに一生懸命参考書を読み、ひじでノートを押さえて毎日毎日勉強をしていました。 毎日12時過ぎまで。 毎日毎日。 本当に根性の塊でした。 ・・・ 自分は初めてやしくんを見たときの焦りを忘れられません。 このままではヤバイ!!! そう思えるほどだったやしくんが・・・ 志望校に合格したうえに本に載ってしまい。 自分は涙が止まらない思いです。 やしくんが自分の所に合格を伝えに来てくれたときに、 自分は不覚にも涙が止まらなくなってしまいました。 初めてやしくんと会った日から、合格するまでの辛い日々を見ていたからです。 いつか大学に合格したらうれし涙を流したいなぁと言う思いで自分は受験勉強をしてきました。 しかし、自分は自分に甘いので志望校不合格に終わりました。 それが今回やしくんの合格により、生まれて初めてのうれし涙って言うのを流すことが出来ました。 自分の所に報告に来てくれたやしくんは、髪を切ってきますと言い、 塾からいなくなりました。 やしくんが髪を切りに言っている間に、自分は同僚に電話で報告をするのです。 やしくんの合格を。 電話越しに「小林君が合格しました」と・・・ 伝えたいのに。 涙があふれて、伝えることができない。 あれほど嬉しい合格はありませんでした。 やしくんはその後、合格通知をカラーコピーして自分にプレゼントしてくれました。 それでも自分はまだ夢のようで。 実際にやしくんの大学まで行き、一緒に学内を散歩しました。 学生証も見せてもらいました。 ・・・ ようやく最近になって、夢じゃないんだなぁと思えるようになってきました。 ・・・ やしくんは本当にできなかったけど、本当に根性で合格してしまいました。 やしくんのがんばりが全国の受験生の希望になってくれたら嬉しいです。 ・・・ あどけなかった「やしくん」ですが。 合格体験記のやしくんの写真を見てください(166ページ)。 あどけないと思えるでしょうか? 受験勉強を通じてやしくんは「一人前の男」になったのです。 やしくんの大学受験はコチラです→ココ |